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2018年7月24日 (火)

坂本龍馬との出会い

 西郷どんと糸さんの結婚式の8日後の、
 元治2年2月6日(1865年3月3日)に藩命で福岡と京都に約2カ月出張し、
 慶応元年4月22日(1865年5月16日)小松帯刀(30歳)とともに京都を発つが、このとき京都から坂本龍馬を伴っていました。
 龍馬が同行したのは、薩摩藩に薩長同盟を説くためであった。
 4月25日(5月19日)薩摩の藩船胡蝶丸で大坂を出帆、5月1日(5月25日)鹿児島着。
   鹿児島滞在中、龍馬が西郷の上之園の借家に泊まったときに雨漏りがし、隣の部屋で糸子が西郷に「お客様に申し訳ないから屋根を修理しましょう」と言うと、西郷が「今は国中の家が雨漏りをしている。うちだけ直すわけにはいかない」と叱るのを聞いて感心したという。
 このとき龍馬29歳、西郷37歳、糸子21歳。

 その1カ月後の慶応元年閏5月5日(1865年6月27日)、甲突川(こうつきがわ)の洪水によって西郷の家は床上浸水します。
 その10日後の5月15日(7月7日)に西郷は中岡慎太郎とともに鹿児島を出帆し、龍馬が準備した木戸孝允(桂小五郎)との会談のため下関に向かいますが、大久保利通が至急の上京を促したために下関寄港を急遽取りやめて京都に向かい、木戸を怒らせることになります。(龍馬はそのあと長崎へ行き亀山社中をつくる)。

 

1                     坂本龍馬・中岡慎太郎の銅像(京都・丸山公園)
坂本龍馬:天保6年(1835年11月15日) -慶応3年(1867年12月10日)
    文久2年(1862)3月24日、坂本龍馬は、 土佐→野村→河辺→五十崎→
    長浜→下関というルートを通って脱藩しました。
    文久2年(1862)10月、軍艦奉行並勝海舟を暗殺しようと氷川町の屋敷
    に向かいまが、勝海舟の話を聞いた龍馬は感銘を受け、その場で弟子
    入りを志願。
    その後、龍馬は西郷吉之助や桂小五郎と会談を行うなど、薩長両藩の
    和解に努めます。
    そして龍馬は、薩長両藩和解のためには、貿易による実質的な結びつ
    きが必要であると考えて、薩摩藩の援助を受入れ、 長崎に亀山社中を
         設立。
    薩長同盟に力を尽くしましたが、大政奉還の直後、京都の近江屋で暗
    殺され、即死。

中岡慎太郎: 天保9年(1838年5月6日) – 慶応3年(1867年12月12日)   
    幕末の尊攘・討幕派の志士,土佐(高知)藩郷士。
    翌3年4月帰郷,藩庁による尊攘派の弾圧が始まり脱藩。
    翌元治1(1864)年6月上洛,長州軍の一員として禁門の変に参加。
    以来,竜馬と共に薩長の和解工作に尽力する。
    同3年2月,脱藩の罪を許され,土佐藩より陸援隊隊長に任命される。
    竜馬の海援隊に対しての陸援隊である。
    薩長同盟に力を尽くしましたが、坂本龍馬とともに京都で暗殺され、
    二日後に死去。

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