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2018年10月17日 (水)

永野金山・7代鉱業館長、「五代龍作」

 工学博士・五代龍作 (ごだい りゅうさく)(五代友厚の娘婿)
 明治〜昭和期の鉱業家
 (安政4年11月17日(1858年)生まれ  昭和13(1938)年10月7日没)
Photo_2 明治37年、島津家が経営する永野金山の大拡張を計画。
 当時、東京大学・工学部(機械工学)教授を辞職して、五代友厚の事業を引き継いだ五代龍作(ごだいりゅうさく)を鉱業館長に任命。
82万円の予算で次の計画を作った。
 1. 胡麻目大通洞(六抗道)の切り拡げと掘進
 2. 晒(さらし)及び三番滝両堅抗の開作
 3. 水天渕(天降川上流の妙見)に水力発電所の建設
 4. 三番滝(完焼)に電力による製錬所の建設

 1904年(明治37年)から1912年(明治45年)にかけて永野金山の第7代目の鉱山館長を務めた五代龍作によって、1907年(明治40年)には電力供給のため下流の天降川に金山専用の天淵発電所が建設され施設の電化が進みました。
 当時東洋一と言われる近代的大精錬所が永野三番滝に設置され、経営の中心は、山ヶ野から永野へ移り、永野町内へも電気の配電が行われました。
 また、彼はシアン化カリウムを用いる青化法を導入し金の回収率向上を図り、設備の電化を行うことで採掘・精錬能力を向上させた。採掘効率を大幅に向上させたのです。
               <写真をクリックすると拡大します>                
胡麻目坑道から鉱石はポール式電車によって約1.5Km離れた三番滝精錬所に運ばれた。
 この時に精錬所が山ヶ野から永野に集中させ、鉱石の搬出が一本化されてていきます。
P1020062 P1020065-2
電車鉄道の橋脚(高さ24m)のみが残っているが、当時県下にこれ以上高い鉄橋はなかった。 右下写真は当時の電車鉄道の鉄橋と永野搗錬所。
P1020075-2 P1020071-3

 永野搗錬所と名付けられた新しい精錬所は当時東洋一と言われた大精錬所で、最盛期において1000名以上の従業員を抱える鹿児島県内有数の大企業でした。
 鹿児島市電が谷山・武之橋間に開通したのが、大正ニ年(1913年)なので金山の電車より四年後のことになります。

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